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日記Diary

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2012年11月7日(水)
民主主義の制度

オバマ氏がこれから4年間大統領を続けるのは良いのだが,アメリカ上下院のねじれ現象が解消したわけではないので,議会対策が大変になりそうだ.議会制民主主義にも欠点があり,アメリカのような大統領と議会が一応別物という制度にも欠点がある.民主主義の制度というものには,これなら大丈夫というものがないわけだが,この点は今後も解消できないものだろうか.政治学者には何か良い案があってしかるべきだと思うのだが.

2012年11月7日(水)
オバマ再選

今日午後2時半ごろ,オバマ氏の再選が確実になった.本当に良かったと思う.リーマンショックの深い傷から立ち直るのに,時間がかかっているが,当面アメリカはシェールオイル,シェールガス革命で財政や産業を立て直すことができるだろう.そうして,その先を考えることになる.いろいろな点で日本と驚くほど似ているアメリカとは,日本はいやでも協調していくしかないのだ.アメリカ,日本,EU諸国というブロックが,これまでどおり世界を動かすことができるかどうかがこれからの課題だ.それができないと,天下大乱の時代に入ってしまうだろう.

2012年10月25日(木)
東大の秋入学のその後

東大が言いだした秋入学がその後どうなったのかと思っていたところ,今日の朝日新聞の第1面に,余り大きくはないが,秋に正規授業を開始することを検討しているという記事が出ていた.詳しい内容はわからないが,春に入学するが,秋までは新入生用の特別の何かをするというものらしい.卒業はこれまでどおり3月だとのこと.これは秋入学ではない.しかも,変なことは,大学での履修単位に触れていないことだ.東大が履修単位を独自に決めることはできない.新聞は,報道する以上きちんとしたことを書くべきだし,東大もいい加減な情報を流すべきではない.いずれにせよ,大学だけでの秋入学はナンセンスだ.大正時代の初期までは,秋入学は小学校からしていたことなので,その制度に戻すのなら,大いに意味があると思う.

2012年10月13日(土)
わが青春のマリアンヌ

今日の朝日新聞朝刊のBEに,「わが青春のマリアンヌ」についての歌のこととともに同名の昔の映画についても書いたものが出ていた.この映画は,1955年(昭和35年)に,名監督ジュリアン・デュヴィヴィエが製作したもので,フランスとドイツで配役を取り換えて2本作られたものだそうだ.ただし,主演女優だけは共通だった.これは珍しいことだと思う.日本で1956年に公開されたものはフランス版なのだそうだ.私は,そうとは知らなかったが,題目がフランス語で,“Marianne de ma jeunesse” だったことはよく憶えている.当時,大学2年生だった私は,第3外国語としてフランス語の授業に出ており,NHKラジオのフランス語講座も早起きして聴いていたので,“マリアンヌ・ドゥ・マ・ジュネス”と何度も言って得意になっていたことを憶えている.この映画の興行成績は日本ではまあまあだったらしいが,フランスでもドイツでも良くなかったそうで,今では忘れ去られている.
 この映画は幻想的な物語に終始するのだが,そこが当時の日本とはまるで違う世界の話で,私には印象深く,それで今でも憶えている.とくに,主演した少女のこの世のものとは思えない美しさには惹きつけられた.これは,男性の共演者らにもとっても同じだったそうだ.この人の芸名は “Marianne Hold” だということを今回初めて知った.ドイツ人なので,本来は“マリアンネ・ホルト”と呼ぶべきだが,日本ではフランス語読みの“マリアンヌ”で,映画の題名と同じだ.この人は結婚して,映画界から完全に引退して,61歳で亡くなっていた.この映画に出演したときは17歳だったそうだから,私より1歳年下だったのだ.
 この映画の撮影は,今では日本人観光客がよく行く,南ドイツ・バイエルン地方のノイシュヴァンシュタイン城の近くにある,ホーエンシュヴァンシュタイン城とその前にあるアルプ湖と周りの森林地帯で行われたのだそうだ.このあたりには私は行ったことはない.行くと映画のイメージが損なわれそうなので,行くつもりもない.

2012年10月9日(火)
山中伸弥氏のノーベル賞受賞

昨日,山中伸弥氏のノーベル医学・生理学賞受賞が決まったので,今朝の朝刊はそれに関係した記事で埋まっている.この人の率直な話し方には好感が持てる.50歳で受賞したのは立派だが,今後は多難だろうと思う.とくに,医療の実際面に関係があるので,金銭上のトラブルに巻き込まれなければよいがと思う.金銭が絡むと,意外なことで足をすくわれることがある.とくに,学者はそういうことに弱いので,気をつけないといけないと思う.

2012年9月3日(月)
ボロジノ会戦から200年

今朝の朝日新聞で,昨日9月2日に,ロシアで,ボロジノ会戦から200年を記念して,当時の戦闘場面を再現する催しがあったことを知った.スモレンスク西方のボロジノ平原に,当時の騎兵,歩兵,砲兵に扮した約3,000人が集まって,実際に大砲などを打って,当時を再現し,それを25万人もの観客が見守ったそうだ.
この戦いについては,今年の5月7日のエッセイのなかで触れたが,こういう大規模な催しが行われることから見ても,これがロシアにとって如何に大きな歴史的事件だったかがわかる.

2012年8月30日(木)
春日野八千代の死去

 今朝の新聞で,春日野八千代が96歳で亡くなったことを知った.ああ,とうとう彼女も逝ってしまったかと思った.
今の若い人たちが,この人がかつて宝塚歌劇団の男役大スターだったことを知っているかどうか,私にはわからない.何故,私がこの人のことを日記に書くかというと,私が子供のときに住んでいた家と彼女が住んでいた家とは比較的近くで,子供だった私も,あれが宝塚の春日野八千代の家だということをよく知っていたからだ.その場所は,西宮市仁川というところで,阪急今津線の仁川駅に近いところだ.
この辺りは昭和の初めに阪急電鉄が開発したところで,武庫川の支流の仁川に沿った住宅地だ.もっと詳しく言うと,川の両岸に道路があり,それに面している住宅の並びと一筋奥に入ったところにもう1本道路があって,それに面している住宅の並びがあった.この形は現在でもそのまま維持されている.ただし,この辺りは阪神淡路大震災で大きな被害を受けたので,古い家はまったく残っていない.
彼女の家は川に面していたのだが,この辺りでは小さな方で,庭らしいもののない質素な2階建ての日本家屋だった.仁川駅からせいぜい200メートルぐらいだったろう.私の家は,一本奥の道に面していて,駅から600メートルぐらいではなかったかと思う.つまり,私は駅に行くとき,ほとんど必ず彼女の家の前を通っていたのだ.
彼女にはお父さんが居たのだが,脳出血を患った後遺症で,体の自由がきかないようだった.夏の夕方などには,家の前の川沿いの道に椅子を置いて,そこで涼んでいる姿を見ることがあった.昭和20年代の前半のことで,車はほとんど通ることはなかったから,そういうことができたのだ.多分,お手伝いの人が居て,そこに椅子を置いたりしていたのだろう.
残念ながら,私自身には彼女を見かけたという記憶はない.今から思うと不思議な気がするが,彼女の家の周りにファンが詰めかけるなどということもなかった.誰もとくに問題にもしていなかったのだ.太平洋戦争後の数年というのはそういう時代だった.
宝塚の近くに住んでいたが,歌劇を演じる宝塚大劇場に私が入ったのは1回か2回だけだ.私が11歳から13歳の間だったと思う.演目が何だったかは憶えていない.私自身に興味があったのではなく,泊まりがけで遊びに来た伯母と従姉について行っただけだったのだ.春日野の死去によって,60年以上昔のことを思い出した.

2012年8月29日(水)
特攻隊員の遺書

 昨夕NHK総合テレビの「クローズアップ現代」で,最近発見された特攻隊員の遺書についてのレポートを見た.太平洋戦争末期に行われた海軍の特攻で亡くなった2千数百人のうち,千人以上が家族に送った遺書などが戦後に集められていて,江田島の旧海軍兵学校(現在は海上自衛隊第一術科学校)の倉庫の奥深くに仕舞われたままになっていた.そのなかには,涙なしには読めないものが多く含まれているようだ.この番組を長年にわたって担当している名キャスターの国谷さんの顔が,昨夕は珍しくこわばっていた.
 NHKの調べでは,これらの遺書の収集は昭和21年から25年の間に行われたもので,海軍省の後身であった第二復員省が何らかの形で関係していた.しかし,実際に,各特攻隊員の遺族を訪問して,遺書を収集したのは,たったひとりの民間人だった.その人が全国に散在している2千数百の遺族たちを訪ねて回ったというのだ.よくやったとも言えるが,不思議なのは,特攻隊員の遺書や写真までを,遺族が訪ねて来た見ず知らずの人に渡したということだ.
 終戦後の5年間ほどの混乱期においてのみ,こういうことができたのだろうが,今ならば,とてもこういうことはできない.それにしても,何のために膨大な量の遺書を集めたのか,今ひとつハッキリしていない.不思議なことだ.これらを今後どう取り扱うかについては,いろいろな問題がありそうだ.

2012年8月18日(土)
香港グループの尖閣上陸への対処

 昨日,野田内閣は,尖閣諸島の魚釣島に上陸した香港グループを単に強制送還するという生ぬるい措置で終わらせた.これは,昨年の菅内閣に続いて2度目の失敗だったと思う.2004年,小泉内閣のときに同じことがあって,そのときにも強制送還で済ませたという先例に倣えば問題がないと思ったようだが,そのときと今とでは日中関係が大きく異なっている.
 他にも同じ意見を述べた人が居たようだが,私は今回上陸させたのは間違いだったと思う.巡視船など多数の日本側の船が現場に居たわけだから,香港Gの船を海上で捕捉するべきだった.上陸させて中国国旗まで振らせてから,逮捕するというのは大間違いだった.これでは,今後も同じようなことが再三起きることは間違いない.
 また,今回の野田内閣の措置は,尖閣諸島を買い取ろうとしている石原都知事を勢いづかせる結果になる.石原グループが,魚釣島への上陸許可を求めるようだが,仮に政府が不許可としても,石原Gは上陸を強行するだろう.香港Gの上陸を阻止しないのだから,石原Gの上陸を阻止する根拠はなくなってしまった.香港Gの公務執行妨害を不問にしたのだから,石原Gにも公務執行妨害を問うことはできない.
 民主党という政党は,なぜこうも間抜けたことをしているだろうか.

2012年7月8日(日)
アメリカの熱波

アメリカの中西部から東の地域が異常な熱波に襲われていることは,日本のマスコミではあまり伝えらていないようだ.
 今日(アメリカ時間ではまだ7月7日)のニューヨーク・タイムズ によると,セントルイスからワシントンまでの広大な範囲にわたって,華氏100度以上の日が10日も続いている.華氏100度以上というと,摂氏40度以上に相当するから,これは大変なことだ.すでに,この高温による死者が36人に上っており,トウモロコシのような農産物に大きな被害が出つつある.今年はトウモロコシの出来が良いと予想されていたのだが,逆になり,また値段が上がるだろう.これは日本の家畜の飼料の値段にも影響することは間違いない.
7月6日には,200箇所で高温記録が書き換えられた.ワシントンでも105度で,これはこれまでの最高記録の106度より1度だけ低いものだ.華氏で書いてあるので,3桁の気温という言い方をしている.多くの年寄りが,エアコンのない換気の悪い部屋で熱中症になっている.池の水に手を触れると,熱いと感じるまでになっている.
 この暑さが7月上旬に長く続いたことは,これまでになかったようだ.これは,強大な高気圧が居座っているためで,悪いことに,メキシコ湾から湿った空気が入ってきている.アメリカ時間の8日の夜から,気温は下がると予想されているが,雷雨などもあるかもしれないとのことだ.これは,最近にもワシントン付近であったことで,停電まであった.
 日本では,梅雨末期の豪雨が荒れているが,異常な高温とどちらがより怖いかはわからないが,両方とも困ったものだということは間違いない.

2012年5月15日(火)

 私が,過去約3年間で一番時間を使ってきたことは,「赤外分光測定法―基礎と最新手法」というタイトルの本を編集して出版することだった.その本が先週ようやくでき上がり,実物が昨日私のところに届いた.本当にヤレヤレという気がした.
 何故この本の出版にこだわっていたかというと,20年ばかり前に私の編著で出版した本が10年以上前に絶版になり,その後同じ種類の本が出ていなかったからだ.需要はあるのだが,その数がある程度以上でないと,今では出版社は引き受けなくなっている.つまり,専門性が高い本を出版することは難しくなっているのだ.今回出した本は専門書ではあるが,そのレベルは初心者向きで,いわば教科書である.それでも通常の形での出版が難しくなっている.残念ながら,これが今の日本の現状だ.
 本にする前の段階として,日本分光学会という小さいながらも社団法人(もうすぐ公益法人になる予定)の学会の機関誌「分光研究」に,講座として2年間13回にわたって連載した.これには,私も含めて16人の執筆者が関係した.この講座に手を入れて合冊したものが,今回出版した本だ.出版したのは,赤外分光に関係した製品を取り扱っているエス・ティ・ジャパンという会社だ.
 いろいろなことを乗り越えて,2,500冊という相当な冊数を出版できたことを心から喜んでいる.

2012年5月12日(土)
国立大学教職員の給与削減

5月11日の新聞各紙によると,政府は,国立大学教職員の給与を国家公務員と同様に7.8%引き下げることにした.これまで,国家公務員についてだけ報道されていたが,私は,いずれ国立大学にも波及すると思っていたが,やはりそのとおりになった.これは大変なことだ.大学の場合は,教職員が実質的な活動の中心なので,給与削減は痛い.人件費を下げることは,法人化してからずっと続いているはずで,それに加えて,今回の措置である.個人の給与を下げない代わりに,教職員数を減らすこともあり得るのかどうか,私は知らないが,いずれにせよ,国立大学の教育・研究の質は下がるだろう.国家財政が危機的状況にあるなかで,大震災後の復旧に金が必要なのはわかるが,教育の質まで下げることに対して,何らの議論もなされない現状は寒心に堪えない.

2012年5月8日(火)
関越自動車道高速バス事故の運転手

4月29日早朝,関越自動車道で高速バスを側壁に衝突させて,7人の死者を出した事故があった.この大事故を起こした運転手は河野化山(かざん)という姓名で,変わった名だと思っていたところ,実は中国残留孤児の2世で,20年前に23歳のときに日本に来たことがわかる.だから,自分でバスをもって,中国人団体客相手の商売などもしていたわけだ.変わった名の理由はわかったが,複雑な気持ちだ.

2012年5月6日(日)
高齢者の春山登山

GW中に,60歳以上の人々の春山登山での遭難が続いた.5月4日には,白馬岳で78歳1人,75歳2人,60歳代3人,計6人全員が遭難した.軽装で登っており,冬山登山の装備は全く持っていなかったそうだ.高齢者が軽率なことをして,厳しい咎めを受けたということになる.
私は,白馬岳に大学2年の19歳のときに登ったが,夏山でも簡単な登山ではなかった.今ではロープウェーでかなりのところまで行けるらしいが,そこからでも少なくとも6時間かかるそうだ.白馬岳は2932メートルの高山だ.5月初めには,冬山と同じ状況になることがある.どうして,そういうことを予想しないで登るのだろうか.
何でも甘く見る現今の風潮が高齢者にまで及んでいるのは嘆かわしいことだ.

2012年5月4日(金)
中国の反体制派陳光誠の事件

北京のアメリカ大使館に逃げ込んだ陳が病院に入ってから,結局アメリカに亡命することを希望したことが,国際問題として注目されている.この件でのアメリカ側の対応は,スッキリしたものではなかった.たまたまかもしれないが,米中の高級会談が行われる直前だったこともあるが,基本的には,アメリカは対イラン問題や対北朝鮮問題で,中国を取り込みたいということがあると思う.

それにしても,陳が自宅を出てからアメリカ大使館に入るまでにどういうことがあったのかは何もわかっていない.相当な距離を盲目の陳がひとりで移動できたとは思えないので,裏にかなりの支援組織があるのだろう.このあたりの本当のことがわかるのは何年も先になるかもしれないが,中国の政治状況は一般に思われているよりも不安定になってきているのではないだろうか.

2012年4月18日(水)
石原都知事の尖閣諸島買取り発言

昨日,石原都知事がワシントンで尖閣諸島を東京都が買い取ると発言したことが,マスコミを賑わせている.既に指摘されているように,石原新党づくりに向けての地ならしなのかもしれない.今日NHK総合TVの正午のニュースに,さいたま市にいる地権者の弟という人も出てきて,国または自治体に売却する意向を示した.結局は国が買い取ることになるだろうが,どれぐらいの値段になるのだろうか.太平洋戦争が始まる前まで,一番大きな魚釣島に最盛期には250人もの人が住みついて,海産物関係の仕事をしていたというが,これからは普通の使い道はないだろう.値段は何を根拠にして決めるのか.むしろ,この際,国に地権を返上するべきではなかろうか.
今回私は初めて知ったが,尖閣島という島はなく,全部で5島ある島々の名前が尖閣なのだ.この名前を付けた人が誰だったかは明確にわかっている.日本が領有権を主張する根拠は明確だが,中国にはどういう根拠があるのか,マスコミはきちんと報道するべきだ.

2012年4月16日(月)
原発の再開

この数日,大飯原発の再開について政府の方針は再開することに決まったが,これは一種の逃げ道作りではないだろうか.今夏一昨年のように暑い夏になると,このままだと必ず電力不足になるだろう.そのとき,4月初めに政府は停止している原発の再開を進めようとしたが,反対があったためできなかった,という言い訳をしようと思っているのではないか.

2012年4月12日(木)
サイトリニューアル

本日ウェッブサイトをリニューアルしました.


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